これは、なんであるのか?
私は、しかじかのありさまで存在することを了解し、そしてあるときは了解していない。この《了解されなかったもの》たちが住む世界がある、影の身体を持つものたちは居るだろうということ。
己の存在ではないものとして、認められない瓦礫の集まり、しかし瓦礫は、不要とされたものたちは、先見的に自己の器から振り落とされたものたちは、いったいどこへ行くというのか?
それは有から無へと還されているのだろうか? 何かの力によって? 有から無になったのだと、確かにそのようになったのだと、いったい誰が確信を抱いたのであろうか?
皆がそのように考えたからと言って、世界がそのように定めたからと言って、それらがそのように考えるべき資格を持つと確信できたのだろうか?
誤った道。今や正規の己の道ではなくなった暗路は、全くの無人であるのか?
お前は一度でもその道をお前自身の永遠蛍とやらで照らしてみたのか?
お前は道がいくつあると、いつから知っていたのか?
お前が光によって照らした道は、確かにお前自身の光によった道なのか?
お前の、お前自身に対するお前がお前であるという了解は、常に、どこか一度でも、かつて問われたことがあっただろうか?
お前と言う存在の範囲を、お前は問うてみたことがあっただろうか?
お前は自己の円を知らないのではないか?
お前という存在が描く小さな自我、そして本来的なお前の存在である自己の円。
お前がお前であるということは、そういうことではないのか?